Blissful Touch ―ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。

ダンサーのためのコンディショニング・サロン「ブリスフル・タッチ」公式ブログ。ヒトが0歳児の時に行う原始的運動メニューを分析し発展させた運動プログラム「ナチュラリゼーション」を中心に、ダンサーの皆様と地域の皆様の美しく健やかな身体づくりをサポートしています。

ピノッキオの第3のカラダ

『ピノッキオの冒険』
カルロ・コッローディ作の有名な童話もまた
原作は政治的風刺を含んだものですが
それを、認知神経理論的視座から
身体と精神、そして教育にフォーカスを向け
解釈を試みたテクストがあります。

it:Enrico Mazzantiによる1883年の挿絵
By Enrico Mazzanti (1852-1910) - http://www.linguaggioglobale.com/Pinocchio/menu_pinocchio.htm, パブリック・ドメイン, Link

 

それは
イタリアの神経科医でリハビリテーション専門医でもある
カルロ=ペルフェッティ氏著の
「身体と精神 ロマンティック・サイエンスとしての認知神経リハビリテーション」の最終章に収められています。

f:id:blissfultouch:20171010080804j:plain

昨夜はそれを再読しました。
木の身体をもって生まれたピノッキオが
ロバの身体を経験し、最後に人間の身体を獲得するという
おそらく多くの方がご存知のストーリーですが
経験によって変わっていく身体
教育によって変わっていく身体
その「変化」を生じさせた体験によって
ピノッキオの身体と精神がどうなっているかを
その童話が書かれた時代背景もあわせながら考察しているのです。

 

人間の身体の獲得はハッピーエンドに見えるけれど
実はそれほどハッピーエンドではないと
そこでは解釈されています。

何故か。
それに関わる部分をごく一部ですが
今日は引用させて戴きたいと思います。

 

つまり、ピノッキオは自分の身体を変化させ人間の身体を手に入れました。しかし、その身体は、新しいイデオロギーと整合性のあるものでなければならず、したがって視覚的な価値しか認めないのです。最後のページでピノッキオは父親のジェペットに、どうしてこんなにいろいろ変化が生じたのか質問しますが、その質問の中には身体に関わる質問は一つもありません。
 ピノッキオが得た新しい身体(そして、その中で身体化された新しい精神)は、イデオロギー的な身体だと言えるでしょう。イデオロギー的に認知され体験される身体であり、虚偽の意識に相応する身体です。現実の意味を付与するのではなく、支配的な文化に押し付けられた意味を付与していくことしかできない身体です。
 ピノッキオは、ある文化の中に受け入れられたくてこのような身体を得ました。それは強制労働や搾取、義務感から行われる読書や執筆(どんな本でしょう?何にでも使える、タイトルのない本でしょうか?)、優雅な部屋、きれいな革の半長靴、空から降ってわいた金貨(「スクラッチくじ」のようなものでしょうか?)でした。しかし、それ以前にコップ一杯のミルクのためにバケツ百杯分の水を汲み出すという途方もない労働をすることが重要となる文化です。そういう文化に受け入れられる身体は、感覚的・認知的・現象学的な特徴に欠けるイデオロギー的な身体であるしかないのです。身体はまるで物体のようです。他人のための身体であり、現実との相互作用での自律性を失ってしまった身体です。

身体と精神 ロマンティック・サイエンスとしての認知神経リハビリテーション 

カルロ ペルフェッティ 『身体と精神 ロマンティック・サイエンスとしての認知神経リハビリテーション』協同医書出版社

 

「ピノッキオの第3の身体」のようなものを
追い求めていないだろうか?
このテクストに出合ったのは
2012年か13年頃だったと記憶していますが
「バレエに合わせる」ような身体づくりを
しようとはしていないだろうか
或いは、世の中の価値観に振り回されるような
身体の捉え方になってはいないだろうかなど
多くを考えさせられました。

そのような視点から
「ピノッキオの冒険」を読み直してみるのも
面白いかもしれません。

 

 

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