Blissful Touch ―ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。

ダンサーのためのコンディショニング・サロン「ブリスフル・タッチ」公式ブログ。ヒトが0歳児の時に行う原始的運動メニューを分析し発展させた運動プログラム「ナチュラリゼーション」を中心に、ダンサーの皆様と地域の皆様の美しく健やかな身体づくりをサポートしています。

動力

朝から不穏なニュース

大陸から飛来するものも
石を投げられ飛び立つ鳥のように
基地に向かっていく翼も
今、空を通過していく自然でないものの動力は
恐れと猜疑心なのだと感じながら
飛び交うもの以上に怖いのは
恐れと猜疑心に埋められていく
流れなのだと思う。

尖った言葉や態度は
相手に刺さる以上に
自らに跳ね返ってくる。

信じられる言葉というのはきっと
尖った言葉でも綺麗な言葉でもなく
露伴の語った
「むっくりとして人を引張ってゆく」言葉
なのではないかと思いながら
再び、詩人の声に耳を澄ます朝。

 

 

doingはdoingとして批判して、beingはbeingとして重んじあうという黙契をたがいのあいだにつらぬいてゆくことができないとき、脆くなるのは言葉だ。
「感受性の領分」225p 長田弘/岩波書店

 

結論しか口にしない。そうした話しかたには、どこかおかしなところがある。どんなに他人と話をしてもはじめに結論を握っていて話をするだけというような、対話がただ、じぶんの手にある結論を他人の手にうまくのっけるだけの根まわしや引きまわしにすぎないようなやりかたが、社会の文法としてたやすく信じられているとすれば、それはどこかまちがっている。
「感受性の領分」226p 長田弘/岩波書店

 

みだりな言あげをよしとしなかった。「近頃はいったいに語気が鋭いですね。尖っているようだ。たとえ惹きつけたとしても、自然歪むだろう。言葉はむっくりとして人を引張ってゆくようじゃないとね。悲惨だの悲壮だのをいうのは易しいのです。幸福をいうことはたいへんにむつかしいが」(※露伴の言葉)
―中略―
 人と話すことは、喋ることではない。人の言葉のなかにある沈黙を受けとる、ということだ。
「感受性の領分」171~172p 長田弘/岩波書店

 

歴史にまなぶというのは、狼がきたと、あるいはいつか来た道と触れまわることではない。(民族史家のエレーヌ・カレール=ダンコースの示唆によれば)、歴史は「みずからを繰りかえす」のでなく「みずからを訂正する」過程なのだ。
「感受性の領分」240p 長田弘/岩波書店

 

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