Blissful Touch ―ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。

ダンサーのためのコンディショニング・サロン「ブリスフル・タッチ」公式ブログ。ヒトが0歳児の時に行う原始的運動メニューを分析し発展させた運動プログラム「ナチュラリゼーション」を中心に、ダンサーの皆様と地域の皆様の美しく健やかな身体づくりをサポートしています。

【読書】「書く」ことの西と東

ラインズ 線の文化史  
ティム・インゴルド著/左右社 から

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移動の時間の楽しみ

先日のウォークス同様、左右社から出版されている
「線」について多角的に考察したとても面白い本。

この本の中では、例えば「書く」ことについて
以下のように中国の事例が取り上げられていますが
PCやスマホで文字を打つことの方が多くなってしまって
ちょっと忘れかけたような漢字を思い浮かべる時
指で空に描くようにしてそれを思い出すようなこと
私たちもありますね。

―東―

中国の子供たちは伝統的にこのようにして書き方を身につけてきた(Yen 2005:109)。子供たちは腕と手をさっと動かす身ぶりで漢字をなぞるところから学習を開始する。そして漢字の部首をひとつひとつ示しながら部首名を呼び、最後にその漢字を発音する。その身ぶりが身についたときにはじめてその漢字は書かれ、練習を重ねるにつれて字は次第に小さくなり書くスピードは上がってゆく(Billeter 1990:85)。すなわち言葉は映像としてでなく身ぶりとして記憶されるのである。実のところまさにこうした理由で―それらの身ぶりが練習と訓練を通じて身体運用法のなかに組み込まれることによってー一人の人間があんなにも多くの漢字を記憶できるようになる(DeFrancis 1984:163)。目が漢字の形姿を忘れても、手がその組み立て方を知っているのである。このことはまた、空中で字をなぞる身ぶりを「読む」ことは、紙に書かれる文字を読むことと同じように簡単だということを意味している。

 そう、手(身体の動き)として覚えている部分が
とても多いのだと、これを読んで改めて感じました。
書くという事、文字を覚えるということにも
こんな違いがあるという発見は面白く
そして、その時使う指はやはり人差し指だとも思いながら
試しにほかの指で同じことをやってみて
その時のカラダの感覚や、指先の軌跡を確認してみたりと
ところどころ、動くこともしながら
線を追う旅を楽しんでいます。

 

―西―

見つめることは、見つめる対象を固定化する特別な観察―すなわち対象を釘付けにすることである。しかし書かれる漢字はそうした監視による刻印によって形成されるどころか損なわれる。なぜなら中国語では漢字の統一性はそれが書かれる運動にあるからだ。運動を停止させると漢字はばらばらになってしまう。西洋社会では、反対に、運動は明晰な形態の認識を妨げる「ノイズ」に等しい。洋の東西を問わず子供たちの出発点はたしかに同じである。ヴィゴツキーが確認したように、書き方を学び始める子供たちはほぼ例外なく、身ぶりが「空中で書く」ことであり、書かれた記号が「固定された身ぶり」に他ならないことを理解する(Vygotsuky 1978:107)。しかし西洋社会ではリテラシー教育が根本的に異なった方向をとった。西洋の子供たちは文字を書く年少期の訓練のなかで、文字を形成するのに必要な手の身ぶりを叩きこまれる。だが、その訓練の到達点は身ぶりを反復できるようにすることではなく、ページ上にできるだけきれいに文字の形を複写することである。読み方を学ぶ場合にも同様に、子供たちに教えられるのは文字の形を認識することであって、文字を作る行為の前提となる身ぶりではない。読んだり紙の上に書いたりする行為に熟達するまでの間に、西洋の子供たちは書かれたものを空中で〔紙から離れて〕書いたり読んだりすることができなくなってしまう。

 

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