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Blissful Touch ―ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。

ダンサーのためのコンディショニング・サロン「ブリスフル・タッチ」公式ブログ。ヒトが0歳児の時に行う原始的運動メニューを分析し発展させた運動プログラム「ナチュラリゼーション」を中心に、ダンサーの皆様と地域の皆様の美しく健やかな身体づくりをサポートしています。

気持ちよいダンス

助走してきた時間があって
ひとつの舞台という跳躍があって
着地して、また走り始める中で
その少し前の離陸の感じ、跳躍の感じが
着地の感触と共に、まだ身体の中に残っている
今、そんな感じかなと
「着地」というサブジェクトのメールを拝見しながら思いました。

 

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イメージを表そうとすると
もう、その時点で「じぶんの外に描いた像」になってしまう。
確かに感じていること、自分に見えていることを
でも、表そうとしなくなったとき
初めてじぶんがそのものになり
それが伝わるのではないかと思うのです。


その時、おそらく
演じているものの自己満足としての気持ちよさではない
観ている側にも、自分のこととしての「気持ちよい」があり
目の前を流れていくシーンとして「観せられて」いるのではない
その時空間、世界の共有が
成り立っているのではないかと感じています。

 

子どもたちにも、子どもたちなりの理解がありますが
でも、その理解には縛られない
ナチュラルなダンスが見事に立ち上がってくる。
すごいなと思います。

 

「美しい」というのは、どこかに誰かや何かの尺度がありますが
「気持ちよい」というのは感覚で
その気持ちよさが観ている人の中に広がるようなダンスに
私自身は惹かれますし
少しでもそこに近づいていくことを
私自身も求め続けてきたように思います。

でも、不思議なもので
求めているうちはそこに至れず
今私は踊っていないのですが
でも、踊っていた時より
ただ、自然の中で佇んでいる瞬間ですら
踊っているような気がするのです(笑)
やっとスタートラインに立てたかのような
自分にとってのダンスの扉が開いたような。

 

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少女と大人のはざまを生きる中学生
彼女たちのありようを見ていると
子どもたちがむしろ先生のように感じられて仕方ありません。

先にも綴った通り
講座の最中も
「私は何のために居るんだろう?」と感じたり
舞台後になっても
「私は何をしたんだろう?」と思ってみたり
何か自分がしているとか、したとかいう
手応えのようなものが全く無かったんですね(笑)

でも、何かが起きている。起き始めている。
間に置いたナチュラリゼーションが
それ自体として働いている。
そうか、ナチュラリゼーションを伝えるというのは
こういうことなのかもしれないと
私自身もこの7ヶ月を通じて
とても大切なことを、実感として学ばせて戴いたように思います。

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結果として生じてくるフィジカルな変化は確かにあるけれど
それだけではない、ナチュラリゼーションの側面を
拙くしか表せないことが非常にもどかしいのですが
少しでもお感じただけたら幸いです。

 


 

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