Blissful Touch ―ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。

ダンサーのためのコンディショニング・サロン「ブリスフル・タッチ」公式ブログ。ヒトが0歳児の時に行う原始的運動メニューを分析し発展させた運動プログラム「ナチュラリゼーション」を中心に、ダンサーの皆様と地域の皆様の美しく健やかな身体づくりをサポートしています。

ナチュラリゼーションの底力を感じる時

『人間は本来もっと自由に、痛み無く、美しく、速く、強く動けるはずだ。』
というナチュラリゼーションの主題。

でも、それは結果として訪れることであって
それを目的にしない、
つまり結果の位置から何かを求めないというところが
ナチュラリゼーションの難しいところかもしれません。
求めても、ある程度結果は出ちゃいますが(笑)

でも、ナチュラリゼーションの底力を私が感じるのは
やはり、ただ観察者のように
行為のさ中の身体や動きを感じていられるような境地で
それに没頭出来た後に
ふと訪れる飛躍を覚える時です。

その事態を言葉にして表すこともまた
難しかったりもするのですが(笑)
敢えて表そうとすることもまた
自身の体験と少し隙間を開き
それ自体を拡張するような働きをすることも
あるように感じています。

今日は、そんな事態を言い得ているように感じる
河本英夫氏の記述をご参考までに引用させて戴きます。

 

認識するようにかかわるのではなく、それじたいとしてあることに連動するようにかかわるのでなければ、すなわち行為としてかかわるのでなければ、接点のとれないような事態が存在する。みずから固体化するものはすべてそうした性質を備えている。発達には、みずから成るという部分が含まれる。このみずから成るということに行為として関与することで、はじめて開ける事象がある。こうした領域は、どのように精神が高まっても、精神による認識ではすれ違ってしまうのである。

 

歩行は歩行にふさわしい動作に繰り返し再編され、それによって動作は自動化する。動作は動作へと接続される。そうなることの手前に、もはや思い出すことのできないさまざまな動作の可能性があったはずである。そうした思い起こすことのできないみずからの前史をたどるようにして、動作の可能性を拡張していくことができる。いわば動作の「先験的過去」を思い出すようにして、別の組織化の水準を見出すのである。動作は結果として目的にふさわしく機能するが、目的のために形成されたのではない。動作は、自己組織化のプロセスをつうじて結果として合目的的になるが、目的へと向かって組織化されるのではない。この隙間に、多くの別様の可能性が含まれている。

 

損傷したシステムはいかに創発・再生するか: オートポイエーシスの第五領域  

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