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Blissful Touch ―ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。

ダンサーのためのコンディショニング・サロン「ブリスフル・タッチ」公式ブログ。ヒトが0歳児の時に行う原始的運動メニューを分析し発展させた運動プログラム「ナチュラリゼーション」を中心に、ダンサーの皆様と地域の皆様の美しく健やかな身体づくりをサポートしています。

間に響くもの

週1回ペースでの下北沢レッスンの際
小田急線は時折大幅な遅延もあるので(^^;)
かなりゆとりを持って向かい
そのゆとりを下北沢探訪や読書の時間にあてています。

昨日は、NODYGOLDという
中に彫金工房のあるカフェにお邪魔しました。
落ち着いた雰囲気と、時折聴こえてくる手仕事の音に
どこか不思議な懐かしさを覚える居心地の良いお店です。

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まろやかなコーヒーを戴きながら読み進めた1冊は
京都の染色家志村ふくみさんと批評家・随筆家の若松英輔さんの
往復書簡をまとめた「緋の舟」

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メールは書いても、
手紙を出すということが殆ど無くなってしまった昨今
届くのを待つという「間」がある時の流れの中で
丁寧に美しく織られた言の葉が
忘れかけていた豊かな間があるコミュニケーションの感触を
思い出させてくれます。

 

以下は昨日、印象に残った言葉です。

人は生涯が終わるまで他者から学び続ける。だがあるときから、どんなに未熟であったとしても、伝えるという責務が生まれる。私はもう何かを受け取るだけの場にはいない。受け取ったものをできる限り伝えていかなくてはならない。伝え得ることがわずかであることは、その役割から離れて良い理由にはならない。むしろ、受け取る人がいる限り、続けなくてはならない、そう感じるようになりました。
 さらに言えば、他者に伝えるという道程を経なければ、けっして自らでは認識できないことがあるようにも思われます。
 人が何かを身につけるのは、自己を豊かにするためだけではなく、他者と分かち合うためなのではないかと思うのです。
「緋の舟―往復書簡 志村ふくみ 若松英輔」より若松氏の書簡から緋の舟

 

私は「教える」「指導する」という言葉にどうも違和感があって(笑)
「伝える」という言葉で表すことが多いです。

ナチュラリゼーションにしても、新正体法にしても
智慧を預かっているという感覚が強いからかもしれません。

「預かる」という言葉がそこに重なるのは
詩人 長田弘氏のこんな言葉の影響もあるように思います。

本というもの、そして言葉というものは、もともと誰かの所有に帰するものではない。わたしはそう考えています。本というもの、言葉というものは、本来、所有するものではなく、預かり物です。書くことが言葉を自分の手に預かることであるように、本を求めるというのは、お金を出して、その本を気のすむまで預かることです。  
「なつかしい時間」 長田弘 岩波新書

 

 


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