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Blissful Touch ―ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。

ダンサーのためのコンディショニング・サロン「ブリスフル・タッチ」公式ブログ。ヒトが0歳児の時に行う原始的運動メニューを分析し発展させた運動プログラム「ナチュラリゼーション」を中心に、ダンサーの皆様と地域の皆様の美しく健やかな身体づくりをサポートしています。

「教える/学ぶ」

昨日は調布のお教室で出張講座、舞台前最後のレッスンでした。


出張講座のブログでそれについて綴ったので
こちらでは割愛させて戴きますが
「教える/学ぶ」ということについて
とても共感する先生のお言葉があり、印象に残りました。

今月初めのリハーサル時に
ナチュラリゼーションを始めて体験した子どもたちのその後について
お気付きになった変化を色々と語って下さいながら
それは表現であったり、
居方の伸びやかさあるいは豊かさとでもいうのか
いずれも数値では測れないような印象の変化を
先生がとても喜んで下さっていて
先生ご自身も日頃のレッスンの中で
それを大切になさっていること。

でも、そういう側面はきっと今、子どもたち本人は
変化していることもわかっていない
子ども達が伝えている事の意味がわかるのは
自分の手元を離れてからかもしれないし、
もしかしたらそれが自然な自分として
教えられたとは生涯気付かないままかもしれない。
でも、そういう成長を喜びにしているということが
先生と私の共通点なのではないか
というようなことをお話下さいました。

今回の講座を通じても
皆さまがそこから感じられたこと、掴まれたことの多様性を
ご感想の中に感じつつ
ナチュラリゼーションの意味は、それを伝えた側にあるのではなく、
受けとったそれぞれの中で育つのだとしみじみ思いました。

2年前の今頃「教える/学ぶ」について
こんな徒然を書きましたが
日本語では「教える/学ぶ」に集約されている意味を
例えばイタリア語のように他国語から眺めてみると
考えに広がりが出てくるかもしれません。

それだけ、それを表現する言葉があるということは
そのどれが良い悪い、必要不要ということではなく
その側面なのだと思うのです。

ナチュラリゼーションを通じて
伝えたいのは、伸ばしたいのは何なのか
自分のスタンスはどこにあるのか…
私自身がイタリア語に通じている訳ではないのですが
上記の記事の中でもご紹介させて戴いた考察から考えてみると
やはりそれは「 imparare 」という事態に
近しいものであるように感じます。

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当日や直後に限らず、時を置いて熟成されたように表れてくる変化の実感も。

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ズリ這い時の背中の脱力の体験から、ご自身の問いの答えを見出された方の声。

 


 

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