Blissful Touch ―ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。

ダンサーのためのコンディショニング・サロン「ブリスフル・タッチ」公式ブログ。ヒトが0歳児の時に行う原始的運動メニューを分析し発展させた運動プログラム「ナチュラリゼーション」を中心に、ダンサーの皆様と地域の皆様の美しく健やかな身体づくりをサポートしています。

届くのを楽しみにしている1冊の本―人体 5億年の記憶: 解剖学者・三木成夫の世界

今、届くのを楽しみにしている1冊の本があります。

「人体 5億年の記憶: 解剖学者・三木成夫の世界」

人体 5億年の記憶: 解剖学者・三木成夫の世界 

三木成夫氏の「海・呼吸・古代形象ー生命記憶と回想」
という本に出合ったのは、ずいぶん昔になりますが
長田弘氏の「感受性の領分」と並んで頻繁に開く本でもあり、
そこから考えてみることの多い本でもあります。

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「海・呼吸・古代形象」の1冊からだけでも、私のカラダ観は
それ以前に比べてずいぶんと広がった気がしますが
その三木氏の生命観、人間観にもっと触れてみたいと
かねがね思っていたことに加え、
その著者が美術解剖学の専門家である布施英利氏であることも
迷わず購入ボタンをクリックしてしまった理由のひとつです(笑)

そして、ナチュラリゼーションのワークをしていると
私はなぜか、この「三木ワールド」を
そこに思い浮かべることがよくあります(笑)

顎のワークなどだと、上のページの図が
フッと浮かんできたり…

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その三木ワールドの一端を
2010年の春に、当時のブログに
幾度かに分けて引用させて戴いたのですが
そのアーカイヴが残っていたので
改めてこちらでも引用させて戴きます。

こうして見ると、植物のからだとは、いってみれば、根の延長として大地を従え、葉の延長として天空を戴く、文字通り宇宙を包含するような規模を持つものであることが推察されるが、こゝでさらに、その体軸が、地球の球心を貫く力線とみごとに対応していること、あるいはさきに述べた、その生の波が、地球の描き出す螺旋軌道に完全に重なっていることなどを考えてみると、いったい植物の生とは、時・空の両面で、この宇宙の網の目に、固く織り込まれているものではないか、ということになる。
 クラーゲスは、このような植物の生きた姿を見て、そのからだには”「遠」が居合わせている”と表現した。それは、かれらの体細胞が、かつて地球から、いわば生きた衛星として分身した、遠い過去の物語りを、そのDNAが、みづからの渦巻模様の中にひとつの「生命記憶」として、完全に刻印しつくしていることを意味するものであろう。もともと、感覚と運動に携わる、なにの装置も持ち合わせない、熟眠状態のかれらが、いったい地球の中心に向かって根をおろし、天空の頂点に向かって茎を伸ばしていくのは、なにゆえか。また、春の到来とともに開花前線を北上させ、秋の到来とともに紅葉前線を南下させるのはなにゆえか。
こゝでは、それは、自分と宇宙を結ぶ太い絆のはたらきによる、というよりも、そうした「遠」の記憶の声に促されての自然の結果、と説明するよりない。これを「遠」の観得 Schauen と呼ぶ。

 

さて、これまで述べてきたものは、動物のもつ、いわば植物的な一面であろう。では、真に動物的とは、なにをいったものか。それは、すでに述べた通り「感覚ー運動」の性能に外ならない。いってみれば゛”動く″ことを余儀なくされた動物たちが、宿命的に身につけた機能のことである。では、この二つの機能はどんなものか。それは「遠」の「観得」によって、個体移動が「実現」する、その二者一組の機能をいったものである。すなわち、この「感覚」と「運動」には、ふつう考えられているような原因・結果の繋がりはない。あくまでも、一つのものの両面、まさに双極の位を占めるもので、それは運動を伴わない感覚が起こり得ないように、感覚を伴わない運動も、また存在し得ない、という間柄のものである。

 

海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想
動物的および植物的―人間の形態学的考察 より
三木成夫 著 うぶすな書院 (1992/09)

海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想