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Blissful Touch ―ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。

ダンサーのためのコンディショニング・サロン「ブリスフル・タッチ」公式ブログ。ヒトが0歳児の時に行う原始的運動メニューを分析し発展させた運動プログラム「ナチュラリゼーション」を中心に、ダンサーの皆様と地域の皆様の美しく健やかな身体づくりをサポートしています。

エレーヌ・ジュグラリス

2009年から育て始めた薔薇エレーヌ・ジュグラリスが

今年もまた咲き始めました。

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この花は日本の能に心打たれ

「羽衣」を舞い、三保の松原に憧れながら

ついに訪れることなく亡くなったフランス人ダンサーの名前がつけられています。

まだ薔薇を育て始めたばかりの私が心惹かれたのは

そのようなストーリーがこの花の背景にあったからですが

あれから7年、久しぶりにエレーヌについて調べていたら

清水中央図書館のサイト

清水市三保、「羽衣の松」前で開催された

「エレーヌ夫人 羽衣の碑除幕式」を撮影した

「エレーヌへの讃歌」という 35 ミリフィルムをDVD化した

7分弱の映像とその解説のPDFが公開されていました。

その資料を見て初めて

エレーヌが劇場での公演中、最後に天女が舞いながら消えてゆく場面で倒れ

亡くなったその日が奇しくも7月11日、私の誕生日であることを知り

この薔薇に惹かれ、育てるようになった縁に感慨深いものを感じました。

以下は「羽衣の碑」除幕式 エレーヌへの讃歌 DVD解説より

エレーヌについて記載された部分を引用させて戴いたものです。

エレーヌ・ジュグラリスは、1916 年(大正 5)4 月 23 日、

フランスのブルターニュ地方カンベールに生まれました。

幼少の頃、著名な舞踊家イサドラ・ダンカンに師事し

新しいスタイルの野外ギリシャダンスを発表。

その後、シャルル・デュランと共に演劇を学び、

音楽、絵画、演出法をジャン・ルイ・バロー、マリ・イレーヌ・ダステ等の

演劇人によって創設された組織である EPJD で身につけ、

全ヨーロッパで公演旅行を行いました。

この頃、日本の「能」と巡り会い、

これが世界で最もシンプルで完璧な演劇であることに心を打たれ、

以来、能楽と日本文化の研究に全精力を傾けました。

エレーヌの「能」研究は、1941 年(昭和 16)頃から始まりましたが、

第二次世界大戦中のフランスでは、能に関する文献や日本研究家は少なく、

独学での研究は困難を極めました。

しかし、煩雑に通ったギメ美術館の図書室で、傑出した日本研究者であり

能の翻訳者のルノンド氏とジョルジュ・ボンマルシャン氏に出会い、

彼らから能に関する当時手に入れられる限りの資料を収集することができました。

その中から謡曲「羽衣」を選び、苦労の末、忠実な翻訳を完成させました。

楽器・衣装等を探し、奔走の末ペルシー劇団の一座を編成し、

1949 年(昭和 24)の始め、シャンゼリゼの劇場でデビューを飾りました。

この初舞台を見た東洋学者ルネ・グルセ氏の招きで、

この年の 3 月 28 日、ギメ美術館で能「羽衣」が上演されました。

この公演は大成功をおさめ、ル・モンド紙、フランスプレス通信、

アール紙の各紙は広いスペースを割いてこれを報じ批評家の絶賛を浴びました。

その後も精力的に公演が行われましたが、この年の 6 月、エレーヌは劇場での公演中、

最後に天女が舞いながら消えてゆく場面で倒れました。白血病でした。

そして 1951 年(昭和 26)7 月 11 日、故郷ブルターニュで 35 年の短い生涯を閉じました。

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