Blissful Touch ―ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。

ダンサーのためのコンディショニング・サロン「ブリスフル・タッチ」公式ブログ。ヒトが0歳児の時に行う原始的運動メニューを分析し発展させた運動プログラム「ナチュラリゼーション」を中心に、ダンサーの皆様と地域の皆様の美しく健やかな身体づくりをサポートしています。

舞と無の徒然

「舞う」ことと「無」になることを

何となく考えていた時に偶然面白いお話に触れました。

『舞』と『無』という字は似ていますが、

元々『無』には雨乞いの儀礼の意味が有り、

踊り始める前に神殿にひれ伏している姿を表す象形文字だったそうで、

冠の部分は神殿

4つの点(れんが)は動かぬ手足

それが何故、今の「何も無い」という意味で

用いられるようになったかといえば

まさにこれから舞い立とうとする神前の巫女の

無の境地によるのではというようなお話でした。

舛(まいあし)は両袖に呪飾をつけて舞う形とか

左右の足が外に向かって開き、

動き出すさまを表しているという記述もありました。

「舞」の原点は「無」

どんな拙い踊り手でも

そんな「無」の中で

何かに全託したような感覚で舞台へと踏み出し

そして、踊ることの中に居る

そんな体験が少なからず

あるものなのではないでしょうか。

そんな時、身体は操作するものでなく

まさに勝手に動くもの。

私は、何か少し時間の流れ方が違うような

僅かにスローモーションのような

どこまでが身体で

どこまでが音で

どこまでが空間なのか

境界線が無くなった様な

不思議な感覚になります

もっとも、そんな感覚で

舞台で踊れることは稀ですが(笑)

でも、確かにそんな風に踊りの中に居ることがあるのです。

身体を緩めたり、ただ感じたり、

身体の求めるままに自由に動く、

そんな時間の中で余計なものが削ぎ落とされて、

舞の原点の無心に動く感覚が、

無意識のうちにも身体の中に残って、

踊りを変えてくれる面があるような気がします(^-^)

そして、身体操作を学ぶということは

もしかしたら、操作することそのものではなく

無から放たれていくものの

通りを良くするプロセスなのかもしれません。

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