Blissful Touch ―ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。

ダンサーのためのコンディショニング・サロン「ブリスフル・タッチ」公式ブログ。ヒトが0歳児の時に行う原始的運動メニューを分析し発展させた運動プログラム「ナチュラリゼーション」を中心に、ダンサーの皆様と地域の皆様の美しく健やかな身体づくりをサポートしています。

六根清浄から三昧

今朝は「六根清浄」という言葉についてのブログ記事に触れるところから始まりました。

欲や迷いを断ち切り、清らかさを保つことの意を持つ言葉ですが

これが「どっこいしょ」の語源だという話題。

何となく、ゾクチェンの本を読みたくなって

久しぶりにページをめくりました。

ゾクチェンの修行者は、山の頂上で瞑想するために、社会を放棄して隠棲する必要などない。隠棲してしまうのは、とくに現代社会においては困難だ。食べ、ふつうに生活していくために働く必要があるからだ。三昧をいかに日常生活と一つのものにしていくか悟ることができれば、日常生活を続けながら、隠棲しているのとまったく同じ進歩をとげることができる。

 ゾクチェンの修行は、表れてくる顕現と自分自身を一つにしていくことだ。顕現は、五感による知覚をすべて含んでいる。楽しい音楽を聞いていようが、あるいは工場のような、耳を聾さんばかりのひどい騒音のある場所にいようが、同じことだ。なぜなら、どちらもすべて顕現の一部に他ならないからだ。すばらしいバラの匂いをかごうが、トイレのすざまじい臭いをかごうが、違いはない。どんな場所にいたとしても、そのすべては顕現の一部である。現象してくるものすべては、みずからの原初の境地のエネルギーのあらわれだ。三昧の中では、そのことが直接にわかる。捨てるべきものもなければ、得るべきものもない。リラックスした覚醒の境地にとどまり、どんな知覚が生じてきても、それを統合することが、ゾクチェンの修行の心髄だ。

私は、この考え方が好きです。

瞑想だとか、修行だとか、特別な事ではなくて

日々の暮らしの中で、様々な人と交わって

出来事や感情に翻弄されずに

静けさを自分の中に取り戻すスペースがあるということ。

それは、どんな時でも留まろうとすれば留まれる隙間なんだと思います。

このところお仕事ばかりだったので

今日は夕方から少し犬孝行(笑)

…と、言いつつ胸骨を感じて歩くを楽しんだひと時でした。

明日は、実家の父がMRIの検査なので

ちょっとばかり病院に付き合ってから

午後からはバレエと新体操のお嬢さんとの2セッションです。

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