Blissful Touch ―ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。

ダンサーのためのコンディショニング・サロン「ブリスフル・タッチ」公式ブログ。ヒトが0歳児の時に行う原始的運動メニューを分析し発展させた運動プログラム「ナチュラリゼーション」を中心に、ダンサーの皆様と地域の皆様の美しく健やかな身体づくりをサポートしています。

Neutral Point

春分」春の真ん中、昼夜等分の日。

ニュートラルなポイントに立って、

これまでの1年を省み

これからの1年を見据えたい

そんな気持ちになった朝です。

今日もクライアントさんと話題になったのですが

自分をニュートラルに戻すって

ちょっと意識的な工夫が必要なのかもしれません。

私はこの2年ほど

日々、数行のメモを手帳に記しています。

ちっぽけな器の自分ですから(^^;)

日々、いろいろなことに喜怒哀楽を覚え

そのときの視野の中でものごとを捉え、記憶していく。

けれど、自分の眺めを少しずつでも明るくしていくために。

あったこと、つまり客観的事実。

感じたこと、考えたこと つまり、感情や思考。

そして、したこと、自分の行動。

そんなことを繰り返し

少し経って、それを見直すことも繰り返す。

そのうち、自分の受け止め方や考え方の癖のようなものや

行動のパターンが少しずつ見えてきます。

ある程度時間が経って

同じ出来事に違う解釈が広がったりもします。

そうしたら、それをその先に

どう活かしたいかを

アファメーションの形で書き留めます。

次第に、リアルタイムでとはいかないまでも

比較的短い時間のうちに

書き留めずとも、そのようなプロセスを辿るのが

習慣になりました。

できごとがある。

それに対する感情や考えがある。

行動がある。

それらを切り分けることによって

切り分けられた隙間に

隠れていたものがひょっこり顔を出したりする。

それを掬いだすのは

ちょっとしんどいこともあるのですが(^^;)

でも、掬いだして流れをよくしてあげることで

停滞したものに蓋をする必要が無くなる訳です。

結局、すべては自分の中の処理の問題で

そこから少しずつでも歪みを取り除いていけるのは

自分でしかないのです。

真実というのは多分、

できごとの中に、人と人との間にあって

自分の中にあるものではないから

自分が捉えているものとそこには

誤差があるということを前提に

日々起こることを受け止めるようになったら

とてもシンプルで、楽に、軽やかになりました。

そして、どんな記憶も

不思議といとおしくなるのです。

Dsc_0720

記憶というのは「あったこと」の記憶がすべてではない。ひとの記憶は、しばしば「あったこと」の中にはいりこむ「なかったこと」によって歪められ、確かめようもない「なかったこと」によって不確かにされている。だが、事実をたずねて、不確かな記憶を確かめようとしても、直面するのは、奇妙なことに真実ではない。

 事実を確かめようとすればするほど、確かに記憶は活性化され、鮮やかになる。しかしそれは、それまでの不確かな記憶にかけちがい、対立して、鮮やかになるにすぎないのだ。確かめれば確かめるほどいっそう確からしくなりながら、同時に、確かめれば確かめるほど「なかったこと」がはいりこんできて、いっそうあいまいになってゆく。正しさをもたない真実が、記憶だ。

長田弘 「感受性の領分」 神の派遣したスパイ49より (岩波書店

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