Blissful Touch ―ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。

ダンサーのためのコンディショニング・サロン「ブリスフル・タッチ」公式ブログ。ヒトが0歳児の時に行う原始的運動メニューを分析し発展させた運動プログラム「ナチュラリゼーション」を中心に、ダンサーの皆様と地域の皆様の美しく健やかな身体づくりをサポートしています。

「頑張る」という言葉から

言葉の使い方についての話題があって

その使われ方、捉え方も

人を映すと同時に、社会も映すものだなと

改めて思いました。

例えば「頑張る」という言葉。

今でこそ「頑張るな」というように

「リラックスしろ」という意味で使われることもありますが

もともとは「我に張る」から転じたもので

我意に固執するという意味や

「どこまでも忍耐してつとめる」という意味があり

余り使われることが無く

使われてもいささか悪い意味で用いられていたものが

「もてる限りのエネルギーを出し尽くす」ようなニュアンスとして

一般的に使われるようになったのは昭和になってから

それもスポーツの世界からで

オリンピックのNHKアナウンサーの「前畑ガンバレ」の絶叫あたりから

市民権を得てのことだと

先にご紹介した「しぐさの日本文化 (多田道太郎著作集)」の中で多田氏は考察しています。

それは、今日の集団的無意識が「頑張る」、つまりはエネルギーを出し切ることに盲目的価値を置いているからなのである。

「ガンバレ」で始まったこの慣習が「お互いにガンバロウ」に変わり、ちかごろでは「ガンバラナクチャ」という孤独の呟きに変わってきているのは、それ自体、「無意識」の短期歴史的変貌として興味あることであるが、このような無意識の構造を、長短を問わず歴史的、空間的に探ってゆくことが、このあっちへ飛びこっちへ飛びのランダム・エッセイ集の目的―と、いえば、まあ目的みたいなものである。

しぐさの日本文化 (多田道太郎著作集)

意識的に「ガンバロウ」というときもありますが

無意識のうちに「ガンバルのが良し」という雰囲気が

じわじわと染み込んだ時代を経て

いつのまにか私たちは

「頑張らない」ことを意識しなければ

力を抜くこともできなくなっているのだと思います。

顎が悲鳴をあげるほど頑張っていることにも、

痛くなるまで気付かないくらい。

そして、痛くなったら「早く治しちゃおう」と

また「頑張ることができる」自分に駆り立てていく。

けれど、無意識にまで浸透したものを

解いていくには

やはり、ただ「頑張らない」という意識の操作では

充分ではないのだろうと思いますし

「頑張る自分」を悪者扱いして取り除こうとしても

むしろ頑なになってしまうこともあるように思います。

頑張ってしまうのには、それなりの理由があり

何故、頑張ってしまうのかに自身を開いていかないと

なかなか抜けてはいってくれないことも

あるのだと思います。

今の時代、そうしなければやっていけない

環境であることも確かだと思います。

けれど、そのうちのいくらかは

自分自身が作り出している「ねばならない」「べき」かもしれません。

リラクゼーションというのは

まず、身体から「頑張らない」状態を

じっくりと味わい体験する時間

身体がそうなって初めて

こころの緊張が感じられたり

時にその緊張を生じさせている

処理されていない感情に出あい

ご自身との対話のきっかけを持つ機会でもあるのだと思います。

「頑張らない」が現実的でないにしても

少なくとも無意識のうちに「頑張っている」自分に気付けることで

対処できたり、違う選択をすることができる場合もあります。

治すことが不要だとも、悪いとも思いません。

ですが、喉もと過ぎれば熱さを忘れるのがヒトの性

時には少し立ち止まって

こころを開いて身体を聴く隙間も

(事情や状態が許すなら)ちょっとは痛みに付き合ってみる余裕も大事にできると

良いのではないかなと思います。

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