Blissful Touch ―ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。

ダンサーのためのコンディショニング・サロン「ブリスフル・タッチ」公式ブログ。ヒトが0歳児の時に行う原始的運動メニューを分析し発展させた運動プログラム「ナチュラリゼーション」を中心に、ダンサーの皆様と地域の皆様の美しく健やかな身体づくりをサポートしています。

ひとつ

疲労の緩和

むくみの改善や代謝の向上といった

身体的な面の改善が主体となるセッションも多くあります。

その一方で

身体を通じて、心を感じるような

セッションの風景もあります。

丁寧に綴って戴いたフィードバックから

私自身も多くのことを学ばせて戴いています。

セッション中、触れている手はもちろんですが

様々な感覚を通じて覚えた印象…

私がこう感じている時

クライアントさんが何を感じ、何を想い、

どのような内なる光景の中にいらしたのか

それらひとつひとつを私自身のその時の記憶と結び付けつつ

その日の旅を改めて共に辿るように。

タッチセラピーにおいて

私の手は、皮膚という

存在の境界をトレースしていますが

微睡みの中で

触れられている今ここのその方と

その方の内に刻まれた記憶の中のその方との

境界が明滅するような

あるいは、その境界越しに

いきつもどりつするような

そんな感覚の中で時が流れていたことを

綴って戴いたお言葉から感じました。

昨日、引用させて戴いた文章の中にある

間主観的という言葉は

本来、自己と他者の間における

境界線がなくなるような共感のことをいうのかと思いますが

この時の場合は

それまで、どこか他者のように感じられていた

その方の内なる存在と

今ここのその方との間の境界線が

消えては生じ、消えては生じするような

そんな感覚でもあったようです。

おそらく、「わたし」というものも

本来、立ち上がっては消えていく

連続した時間も

不動の境界もないものなのかもしれませんが

その「わたし」の内に

常に存在する他者がいるかのような感覚に

戸惑いや違和感を覚えるようなことも

あるのだろうと思います。

少なくとも、その境界の消えた実感の中で齎されたものが

その日、悲しみではない涙を誘い

そこにひとつの安堵が生じられたのでしょう。

その境界の消える瞬間

その方の中でタッチそのものも消えている。

時として、消え得るような饒舌ではないタッチ

操作しよう、方向付けようというような意図を持たない

シンプルで優しく、ただ寄り添い包むようなタッチは

時に、そんな奥行きを齎すこともあるものなのかもしれません。

クライアントさんのお言葉を拝借すれば

「“体”の尊さを心で体験し “心”の尊さを体で体験し」という

融和した感覚は

ひとつである実感、そのものなのだろうと思います。

そして、それは私の手が起こしていることではなく

クライアントさんご自身の内で

起こっている癒しなのだと思っています。

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