Blissful Touch ―ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。

ダンサーのためのコンディショニング・サロン「ブリスフル・タッチ」公式ブログ。ヒトが0歳児の時に行う原始的運動メニューを分析し発展させた運動プログラム「ナチュラリゼーション」を中心に、ダンサーの皆様と地域の皆様の美しく健やかな身体づくりをサポートしています。

「遠」と「縁」

秋惜む季節、大輪のブルーリボンもスプレー咲きのアンティーク・レースも朝陽の中で満開を迎え、それはきっと新たなステージの始まりを祝す象徴なのではないかなと感じる週末。

植物を育てていると、そこにも紛れも無く宇宙のリズムが宿り「命」の流れに共振しているのを感じます。

解剖学者・発生学者である三木成夫が「海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想」の最終章で触れた「遠」の観得とでもいうものかもしれません。

こうして見ると、植物のからだとは、いってみれば、根の延長として大地を従え、葉の延長として天空を戴く、文字通り宇宙を包含するような規模を持つものであることが推察されるが、こゝでさらに、その体軸が、地球の球心を貫く力線とみごとに対応していること、あるいはさきに述べた、その生の波が、地球の描き出す螺旋軌道に完全に重なっていることなどを考えてみると、いったい植物の生とは、時・空の両面で、この宇宙の網の目に、固く織り込まれているものではないか、ということになる。

 クラーゲスは、このような植物の生きた姿を見て、そのからだには”「遠」が居合わせている”と表現した。それは、かれらの体細胞が、かつて地球から、いわば生きた衛星として分身した、遠い過去の物語りを、そのDNAが、みづからの渦巻模様の中にひとつの「生命記憶」として、完全に刻印しつくしていることを意味するものであろう。もともと、感覚と運動に携わる、なにの装置も持ち合わせない、熟眠状態のかれらが、いったい地球の中心に向かって根をおろし、天空の頂点に向かって茎を伸ばしていくのは、なにゆえか。また、春の到来とともに開花前線を北上させ、秋の到来とともに紅葉前線を南下させるのはなにゆえか。

こゝでは、それは、自分と宇宙を結ぶ太い絆のはたらきによる、というよりも、そうした「遠」の記憶の声に促されての自然の結果、と説明するよりない。これを「遠」の観得 Schauen と呼ぶ。

…中略… では、この思惟像では、問題の「精神」なるものは、こうした「遠なる波動の観得と、これの内なる実現」という植物極の機能いわゆる「心情」なるものに対して、いったい、いかなるかたちで作用を及ぼすことになるのか。そこには、あくまでも、さきの肉体を介して作用する、二つの、異なったかたちが識別されるのでなければならない。その一つは、精神が、この小宇宙のリズムに対して、あたかもこれを堰き止めるがごとく“固必的”に作用するのに対し、他の一つは、このリズムを昂揚させるように、いわば“拍節的”に作用するのである。前者では、生のリズムは完全に喪失するが、後者ではそれは生き返る。あのシンフォニーの頂点に加えられたシンバルの一撃のように…。

 われわれ人類の祖先たちは、この打拍の効果を生かして、こゝでの眼目である大小宇宙の“リズムの交響”を支え続けてきたといわれるが、まさにこうした古代性情が、あの最晩年のゲーテにいわば翻然と蘇ったのではないか、とこの私は思う。

 本論文の冒頭に提起した“人間と動物のけじめ”に関する諸問題の本質も、こゝで取り上げた植物の心情―木霊―を通じて、あらためて、振り返って見る必要があるのではなかろうか。人間の形態学は、こゝから出発すべきものと思う。

三木成夫「海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想

動物的および植物的―人間の形態学的考察223P~224Pより

自分を澄ませるとは、植物のように「遠」を受容する力を内に持つということなのでしょう。

新たな始まりの節目に立ち会うような時間の中で「縁」というものを強く感じた週末、その未来に溢れんばかりの祝福が降り注ぐことを祈り、そこに私という流れが交わっていられることに心から感謝しつつ空を見上げる朝です。

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