Blissful Touch ―ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。

ダンサーのためのコンディショニング・サロン「ブリスフル・タッチ」公式ブログ。ヒトが0歳児の時に行う原始的運動メニューを分析し発展させた運動プログラム「ナチュラリゼーション」を中心に、ダンサーの皆様と地域の皆様の美しく健やかな身体づくりをサポートしています。

タッチセラピーと私

タッチセラピーには、コンフォートタッチ(アメリカ)、セラピューティック・タッチ(アメリカ。ニューヨーク大学名誉教授のドロレス・クリーガー博士が体系化)、タッチケア(アメリカTRI系)、セラピューティック・ケア(イギリス赤十字)、ヒーリングタッチ(アメリカ)など、それぞれに特徴の違ういくつかの流派があるようですが、私はタクティールケアを知るだいぶ以前にコンフォートタッチの存在を知りComfort Touchを読んだり(現在は翻訳版が出ています)、ウェブサイトなどを眺めて、こういうケアを日本で学ぶことはできないのだろうかと思っておりましたが、その時はまだ「機」が訪れてはいなかったのでしょう。これといった、学びの場を見出すことはできませんでした。

それから幾年かが過ぎて、長女は就職し、理学療法士を目指す次女の学生生活も後半にさしかかって、もうそろそろ親業も卒業という時期にもなり、私自身のこれからを考えるようになりました。それなりに仕事をしたり、ダンスも続けたりはしていましたが、それだけで良いのだろうか、何かが散らばったまま統合されないでいるのではないか、そんな風に考えるようになったのです。

同じ時期に、実家の父が心筋梗塞で倒れ入院、左室瘤の切除手術と、色々と気持ちを揺さぶられるような出来事も重なり、暫く自分と向き合う時間が続きました。

思春期から、常に身近なところに介護というものが横たわっていて、もちろん私自身が中心になって介護に当たっていたわけではありませんから、私の苦労だなどとは思っていませんでしたが、それでも、その環境は間接的に少なからず私の人生にも影響を与えていたように思います。

正直なところ、どこかでその何とも表現し難い圧迫感のようなものから逃れたいような何かを十代の頃から心のどこかに抱いてきたことに、やっと自分の意識がその存在を認め始めたとでもいうのでしょうか。

それが呼び水になるかのように、それまで知らず知らずのうちに封印されていた様々な記憶や想いも、意識の中に映し出されるようになって、少々しんどい時期でもありました。

けれど、もう、どこかで、そんな風に自分の内側を抉り出すようなことを投げ出したいような気持ちも生じ始めた頃に3月の震災があって、今、生きている自分、今生きている世界を改めて考えさせられた時に、その重苦しさのようなものから逃避しようとしている自分から目を背けている限り、本当の意味で今を生きることなどできないのではないかと思い至りました。

いつか友人が言った、私が「どこか薄く生きようとしているように見える」という言葉が大地の揺れと共に蘇って、

私は私の身近で起こってきたことやそれを眺める自分を受容できずにきたのかもしれないと感じたのです。

ならば、今私に何ができるかと考えたとき、目を背けてきたものに、むしろ積極的に向き合うこと、その時何もできない自分のままでいることに甘んじない私になることなのではないか…そう思いました。

そして、まさにその時に、タクティールケアに出合ったのです。不思議なことに、それがWeb上の記事だったのか、あるいは何かの偶然でJSCIのサイトに辿り着いたのか、はたまた、何かの書籍だったのか思い出せないのですが。

主に、介護に携わる方が業務で役立てることを想定したプログラムであろうとは思いましたし、講習を受けたとしても、実習は少なくとも2名は認知症や癌などの疾患のある方を対象に行うという条件に躊躇う想いも、実際にそれを役立てる場が自分にあるのだろうかという懸念も抱えつつではありましたが、それでも、自分の心が向かうものにこれからを委ねてみることにしました。

他にも日本で学べるタッチセラピーもありましたが、タクティールケアが発祥したスウェーデンは、私自身は訪れたことはありませんが、ちょうど私が生まれた頃に父が仕事で北欧3カ国を数ヶ月間に渡って巡っており、幼い頃からスウェーデンの家具や生活雑貨の中で暮らしてきましたので、何かご縁のようなものも感じましたし、教育体系や資格取得後のフォローアップ体制がしっかりしていることなども鑑みてタクティールケアを選びました。

関心を持ち始めてから、実際に学び始めるまでにはずいぶん時間がかかってしまいましたが、でも、その時間もその中で起こった出来事も必要なことだったのかもしれません。

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