Blissful Touch ―ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。

ダンサーのためのコンディショニング・サロン「ブリスフル・タッチ」公式ブログ。ヒトが0歳児の時に行う原始的運動メニューを分析し発展させた運動プログラム「ナチュラリゼーション」を中心に、ダンサーの皆様と地域の皆様の美しく健やかな身体づくりをサポートしています。

金曜日のセッションから

11歳のバレリーナさん、2回目のセッションから。
初回は、ざっくりと体験して戴きましたが
今回からは顎と手をゆっくり育んでいきます(^^)

手のワークは
それをしっかり続けていくほど
面白くなってきます♪

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本人、楽しかったー!と、帰ってから少しだけ復習して寝ました。
バレエで自分でもわかるほど効果があったらしく、次回も楽しみにしております。

と、メッセージを戴きました(^^)

 

冷たい雨の降る晩になってしまいましたが
キラキラした目に触れていると
どこか彩り豊かなお花屋さんにいる時みたいに
朗らかな気持ちになりますね。

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環境をつくる

以前、初めていらした
幼稚園児のお子さんのレッスンでは
お母様にも一緒に顎のワークと
手のワークをやって戴きました。

その日はご実家に預けてこられたけれど
下のお子さんがまだ小さいので
通信講座を主体に、時折フォローアップさせて戴くかたちを
お薦めしたのですが
その上で、ふたつお願いをしました。

「『やりなさい』と言わずにやりたくなる環境を作って下さい。」
「やっていることを評価するのではなく、それに対するお母様の気持ちで表現して下さい。」


その後の経過をメールして下さったので
ご紹介させて戴きます(^^)

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www.mag2.com

The evening's the best part of the day.

カズオ・イシグロ氏が
ノーベル文学賞に選出されたとのニュースに

「日の名残り」(The Remains of the Day)の
この一節を思い出しました。

You've got to enjoy yourself.
The evening's the best part of the day.
You've done your day's work.
Now you can put your feet up and enjoy it.

長年仕えたダーリントン卿亡き後
新たに屋敷の主となったアメリカ人に仕え
ふとしたことで、休暇を得て
旅先で出会った老人との会話のシーンで
スティーブンスが弱音を吐いたときに
老人の語った言葉。

邦訳では

「人生楽しまなくっちゃ。夕方が1日で一番いい時間なんだ。
脚を伸ばして、のんびりするのさ。」

それを読んだ2007年に、私はこんなことを書き記しています。

自分の人生の黄昏に差し掛かった頃に
果たして
The evening's the best part of the day.
と、言えるだろうか。

いつかそう思えるような人生であれるよう
今を重ねていきたいと思った。

黄昏時に入っているのか
或いは片足を突っ込んでいるのか(笑)
それから早くも10年経ちますが
暮れていくほどいい時間になってきているのは
確かだと思います(^^)

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そして、また読書ブログになってしまった…(笑)

胸分ける

【胸分ける】

秋の深まりとともに、ハイハイをしていると

ますらをの呼び立てしかばさ雄鹿の胸分け行かむ秋野萩原

という万葉集の歌を思い出したりもします。
まだまだ鹿には遠く及びませんが(笑)
「胸分ける」という言葉が
何か、しっくりくるんですね。

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【育ての心】

自ら育つものを育たせようとする心、それが育ての心である。世にこんな楽しい心があろうか。それは明るい世界である。温かい世界である。育つものと育てるものとが、互いの結びつきに於て相楽しんでいる心である。
 育ての心。そこには何の強要もない。無理もない。育つものの偉きな力を信頼し、敬重して、その発達の途に遵うて発達を遂げしめようとする。役目でもなく、義務でもなく、誰の心にも動く真情である。
倉橋惣三「育ての心」フレーベル館

 

倉橋惣三先生は
幼児の自発性を尊重しながら
「生活を、生活で、生活へ」導いていくことが大切だと
説かれたそうです。


そのように日常に学び育つことから始まった人生は
青年期、成人期を経て再び
煩わしさや困難も含めた
日常の中にこそ幸いがあり
育み育まれる修行(学び)があるとする
入鄽垂手の境地として
老年期に結ばれていくものなのではないか
能面の「翁」のような、あるいは布袋様のような
円やかな表情に触れる度に思います。

入鄽垂手はゴールでもありスタート
閉じていくではなく、開けていく
幼子にも、心豊かに生きてこられたご高齢の方にも通ずる
周囲も明るく照らすようなそのありようが
「いきいきしさ」であるように私には感じられます。

 

Oxherding pictures, No. 10 

 

『仏心と童心』


仏心は慈悲。慈悲は先ずゆるす心である。
その大きなゆるしの前には、多分善もなし悪もなし、
ただすべてに対する無差別のいたわりがあるのであろう。

仏心の偉大さは容易に測り知り得ない。
しかし、ゆるされる心がどういう心かは考えてみることが出来る。
責めつけられない心である。咎められない心である。
罪をいつまでも追跡されない心である。
従って、その前にあるものは、隠しや、飾りや、詐りや、
反抗や、執拗や、そういう一切の我執から開放させられる。
つまり、万人がその本然の無我に帰らされるのである。

仏心の宏大無辺に較ぶべくもないが、
童心がこれと似た幸福を私たちに与えてくれる。
しかも、仏心は余りに崇高で、
時に私たちの方から近づき兼ねる事があったりするが、
童心にはそういうところもない。

そこには、ゆるされるとも識らずにゆるされる心易さがある。
抱かれるよりも抱いてやる親しさがある。
誰でもの心が直ぐ本然の無我に帰らされずにいられない。

倉橋惣三「育ての心(上)」フレーベル館

 さて、今日もナチュラリゼーションを通じて童心に学び
いきいきしさを育んでいきたいと思います(^^)

 

いきいきしさ

大人になるほど1年が経つのが
あっという間に感じられるものですが

ナチュラリゼーションと重ねてみると
確かに歩んできた1年だったと思えてきます。

そんなメッセージを戴きました。

歩んでいるという確かさ。
私も、同じように感じています(^^)

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すっかり読書ブログのようになっておりますが(^-^;
倉橋惣三「育ての心(上)」から心に残った文を
美しい十五夜の晩に。

 

「いきいきしさ」

子どもの友となるのに一番必要なのは
いきいきしさである

必要というよりも
いきいきしさなくして
子どもの傍にあるのは罪悪である

子どもの最も求めている生命を与えず
子どもの生命そのものを鈍らせずに
おかないからである

あなたの目 あなたの声
あなたの動作
それが常にいきいきしているもので
なければならないのはもとより
あなたの感じ方 考え方
欲し方のすべてが
常にいきいきしている
ものでなければならない

どんな美しい感情 正しい思想
強い性格でも
いきいきしさを欠いては
子どもの傍に何の意義も有しない

「育ての心」倉橋惣三

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逃げなかった人の眼差し、そしてタッチ

今週のお題「読書の秋」に寄せて。

 

木下晋という画家を、私は知りませんでした。

正確には、「祈りの心」という本の表紙になった
手を描いた作品を目にしたことはあったけれど。

ストーリーや言葉を超え
何か圧倒的に語りかけてくるもの。
「ハルばあちゃんの手」の絵の一つひとつに
どうしてこんなに心が揺さぶられたのかが
松岡正剛氏のこの記事で
少しわかった気がしました。

1524夜『祈りの心』木下晋|松岡正剛の千夜千冊

https://www.instagram.com/p/BZzu8euh7IT/

昨日、本屋さんで出合った絵本。公の場なのに、目の潤むのを止められない。精緻な鉛筆画が描き出す、手に刻まれた人生。光と陰を超えて貫かれた大切なものが、そこからとめどなく、美しく流れ出してくる。ココロ揺さぶられる一冊でした。

 

描くことを通じて、自身が抱えた確執と
あるいは、人がしてきたことと
正面から向き合い、逃げなかった人が描く
人生だからなのだと。
そして、
その眼差しと、手を通じて表されたものには
もはや、言葉さえ要らないのだと。

世界で一冊の絵本

先日、知人の家に伺った際に
幼稚園児のお孫さんがいらしていて
何となくの流れでプチ・ナチュラリゼーションタイムになりました。

お絵描き道具もそこにあったので
顎のワークをしながら、お魚が大きな口をあけている絵や
オットセイのあくび?を描いたり
手のワークをしながら、その手のカタチを描いたり。
ワーク自体も楽しんでくれつつ
その後、そのクロッキー程度の絵を
一緒に彩っていく時間も楽しみました。

出来上がった、その共同作品を
その子はとても気に入って
「これ貰っていい?」と尋ねるので
「うん、いいよ。おうちでナチュラリゼーションするとき
それを見て思い出してね。」
と、お話したような出来事があり
その世界で一冊のナチュラリゼーション絵本が出来上がった時
こんな風に、子どもたちに
ナチュラリゼーションが届いていったらいいなぁと
しみじみ、思ったのです。


最近はめっきり絵本に親しむ機会も無くなって
今、子どもたちはどんな絵本に触れているのだろうと
ふと思ったのが、昨日書店に立ち寄った理由で
そこでは、昨日書いたような
素晴らしい絵本との出合いもありました。


日本人は手先が器用だといわれますし
本屋さんで眺めてみても
器用さを育むような手遊びの本や
手を使うことを促すような本はありました。

でも、その器用さ以前の
じぶんのカラダの重みを支えながら動いたり
もっと大きく動かす体験は
自然や、その中で自由に遊ぶという時間が
身近に豊かにあった時代に比べたら
やはり十分とは言えないことを
日頃の子どもたちとの時間の中でも感じています。


そういう体験を子どもたちに手渡していきたい。
子どもたちと触れ合うほどに
子どもたちのかけがえのない成長の時間の一部を
他者と共に、その時代の社会と共に
預かっているのだと感じるほどに
それが仕事だからということを越えたところで
今という時代をつくってきた大人の一人として
心からそう思います。

 

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長女が予備校時代に描いた作品ですが、ちょっと絵本的だったので(笑)。