Blissful Touch ―ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。

ダンサーのためのコンディショニング・サロン「ブリスフル・タッチ」公式ブログ。ヒトが0歳児の時に行う原始的運動メニューを分析し発展させた運動プログラム「ナチュラリゼーション」を中心に、ダンサーの皆様と地域の皆様の美しく健やかな身体づくりをサポートしています。

収穫

3本指のワークはまだまだ全然ダメですが(-_-;)
にもかかわらず、私の中では収穫がとても多かった
この1か月です。

以前、四肢の土台としての肩甲骨と骨盤
という表現をしましたが


それが概念としてではなく
ああ、この角とこの角は連動するなぁ…
というような動きの実感として立ち上がってきたり
四つ足で動く際に、力が通り抜けるラインには
ちゃんとそれを受け止めるようなカタチがあって
自分が生きてきた半世紀以前の
気が遠くなるほど長い進化の時間が
そのカタチとして生きているんだなあ
というような感慨を覚えたりもしました。

 

先日、あるクライアントさんが
この地面に這うようなカタチから
動きをやり直していくというのが良いのですよね
というような事を仰っていらっしゃいましたが
単にイメージとしてのグラウディングではない
大地との豊かな関りの体験は
自分の歴史と共にヒトとしての歴史を思い出させ
じぶんという存在の足場をよりしっかりとしたものに
してくれるのかもしれません(^^)

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仕事で東欧諸国へでかける家人を
(仕事とはいえ、いいなぁ)と
括弧の声と共に指を咥えて送り出すことからスタートした週末
何か無性に旅したくなりました(笑)

身に合う

時々、こんな風に突っ立って
手のワークをしながら全身を感じていることがあります。
片手だったりすると傍目には、
”お控えなすって”のポーズでもとってるのか?
という感じかもしれませんが(笑)
地味~に動き続けています。

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例えば、その中で感じた
働きが甘いとか、感覚が薄いとか
長さが足りないとかいったこと。

それをよく味わっておくと
普段、立ったり歩いたりしているときに
ああ、こういう時に働いていないなとか
自分で短くしてるじゃん!!(^-^;とか
邪魔しているものや、その状態に繋がることを
知らず知らずのうちに自分が作り出しているという事が
ありありと感じられたり
では何故、短くしたくなるかが感じ取れてきたり
そうかと思うと少しずつ
脚の運ばれ方やリズム、筋肉の働き具合が変わってきたり。

手から対話し始めたものが
体幹を介して、脚にも少しずつ少しずつ届いていくということが
ごく緩やかな流れとして
あるいは日ごと変わっていく日没の時間を
ある時、そういえば日が短くなったなと気付くみたいに
感じられるんですね。

それは理で説明がつくことかもしれないけれど
理から意識で創ろうとしていた時とは
やはり、何かが違う。

生花の香りとアロマの香りの違いのような
どちらも確かに薔薇の香りで
それぞれの芳しさがあるけれど
岡潔氏の言葉を拝借するなら
どちらが「身に合うか」なのかもしれません。

そして、私は私の身に合うものに出合えたことを
幸せに思うのです。

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たくさん這った余韻を感じながら数駅歩く楽しみ

忘れていたり、気付けなかった
小さな、でもだいじな働きが
ゆっくりと目覚めてくるのを感じたり
それを育てていくことは
やはり、信じられるじぶんを
見出したり、育てていくことにも
自ずと繋がっていくのではないかと
私は思っています。

そんなことをちょっとお話をさせて戴いたら
自己感覚、身体感覚、マインドフルネスをキーワードに
研究なさったことがあるという方が

もともともっているものを掘り起こし、
感覚を甦らせることで自分の自信に繋げるということは
非常に興味深いです。

と、仰って下さいました。

私は、私の主観や体験者の方の声としてしか語れないけれど
ナチュラリゼーションを体験して下さっている方が
そのような観点からも専門的な考察をしていって下さったり
そこからまた、その方の中で、あるいはご専門の領域の中で
発展することがあるとしたら素敵だなと思います。

 

 

シンプル≠即席

「わずか数分でできた」と謳われているある画像を見て
私はまったくできていないと感じる。
それは、両者の持つ「できる」ということの意味が
違うからなのだと思います。

ただ誇示して満足するなら
それは「できた」なのかもしれないし
それに幸福感を覚える人もいるでしょう。

でも、その「できた」は
ダンスの初心者でも陥りがちな「できた」で
もしもダンサーが
ただそのカタチを追う、あるいはカタチに満足してしまうなら
やがて身体をこわしてしまうと感じます。

シンプル≠即席

何でもかんでも「速く、簡単に」「~だけで」
に括ろうとする危うさ。

自説の万能感を追い求め
安易に「できる」を謳えば
幸せではなくなってしまう人も
出てくるのではないでしょうか。

今、自分が考えている「できる」は
本当に「できる」なのか
発信する人も、受けとめる人も
問う姿勢が必要だと思います。

 

「最初からやり直すって大切ですね。」

ナチュラリゼーションを始めて
バレエへの意欲だけでなく
お仕事に活かしていくために
大学院で更にご専門の領域を学ぶようになったり
お引越しをすることになさったりと
様々な面で変化を感じていらっしゃると
とても清々しい表情でお話をして下さいました。

変わろう、変えようというような力みではなく
自然と選択していたり、手放していたり
お話を伺っていても
何かとてもナチュラルな感じで
「最初からやり直すって大切ですね。」と
微笑まれる姿に触れ
私も爽やかな気持ちになったひと時でした。

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思いがけない流れ

江の島での時間からは
思いがけない流れも注いできて
まだどうなるかは分かりませんが
ある企業さんの社員教育の一環としての
長期講座開催のご提案を戴きました。

ダンス関係ではないですが
社員さんの健康増進に役立てて戴ける面や
身体操作の向上が間接的にお仕事に役立つ面も
大いにあるかと思いますし
様々な方に体験して戴くことは
とても大切なことだと思うので
まずは、そちらの社長さんがレッスンを受けてみたいと
関心をお寄せ下さったことに感謝しつつ
このご縁から、また何か広がっていくものが
あれば良いなと思います(^^)

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開けた眺めから、開けていくものを感じる秋です。

不思議な後味

先日の『Babies』という映画は、感動以外に
何か不思議な後味があるなと思っていたのですが
鑑賞後数日経ってから読んだ
付属していた小さなリーフレットのコラムの中の

多様な文化を身につける彼らを通して、不思議なことに、私たちは自分の文化を異文化として眺めるようになる。

という言葉に、その感覚が言い当てられているように感じました。

そう、日本の赤ちゃんや、馴染んだ風景、習慣が映っているのに
その文化に帰属している感覚ではなく
他の3国の赤ちゃんたちの姿同様
どこか異文化に触れるように眺めていたその余韻が
暫く続いていたからだったのだと。

4人それぞれの成長を
赤ちゃん目線の低いアングルで交互に写し出していった
その構成のせいでしょうか
あるいは言語の介在なく集中した時間が続いたせいでしょうか
その理由は定かではありませんが
どこにも帰属していない
私の中の文化の尺度みたいなものが
一時リセットされたような
その体験はとても新鮮でした。

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もうひとつ、リーフレットで印象に残ったのが
この映画を数年後に観た、モンゴルの男の子の言葉。

この映画は、ぼくのこと、空のこと、空の音について話してる。

もう、それだけで
モンゴルの青い空の中の彼の姿が瞼に蘇って
草原を渡る風の音まで聴こえてきそうで
子どもの言葉って、やはりスゴイと
新たな感動を覚えています。

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 彼はきっと、空と共に生きているという
豊かな感覚があるのでしょうね。

【読書】風蘭 岡潔

今、再読しているのは
数学者として名高い岡潔氏の「風蘭」
思想家としての随筆も多く
今まで「春宵十話」小林秀雄氏との対談「人間の建設」など
いくつかの著書を読んだだけでも
その慧眼に感じ入ることが多々あり
教育に言及した、いくつかの言葉に
今、もう一度触れなおしたくて。

ここではごく一部だけご紹介させて戴くにとどめ
内容に詳しくは触れませんが
岡氏の考える「大自然の教育」についての章は
このような言葉から始まります。

大自然は人の子を生むだけではありません 。これを育てます 。これがほんとうの教育です 。人はその手助けをします 。これを人は教育といっていますが 、ほんとうは教育の手助けなのです 。

 

学校へ行くまでの子ども 、ましてごく小さな子どもは 、驚くべき速さでいろいろなものやことを学び取りますが 、どうしてそういうことができるかというと 、 「見える目 」でものを見て 「見る目 」を使わないからです 。

 

この本が講談社現代新書として刊行されたのは
1964年4月。(現在は角川ソフィア文庫)
古い本ですが、内田樹氏の解説も含めて
今なお読む価値がある1冊だと思います。

風蘭 (角川ソフィア文庫) 

 

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