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Blissful Touch ―ダンスをもっと美しく、もっとナチュラルに。

ダンサーのためのコンディショニング・サロン「ブリスフル・タッチ」公式ブログ。ヒトが0歳児の時に行う原始的運動メニューを分析し発展させた運動プログラム「ナチュラリゼーション」を中心に、ダンサーの皆様と地域の皆様の美しく健やかな身体づくりをサポートしています。

親子で学ぶナチュラリゼーション

6月25日(日)14:15~15:45
「親子で学ぶナチュラリゼーション」

 ダンスを学ばれている小中学生の方(1名)と
 その保護者の方(1名)を
 対象としたグループレッスンを開催致します。

 場所 iSTUDIO /Aスタジオ
 定員 3組(6名)
 受講費 1組(親子で)12,000円/90分
 受付締切 (6月17日)

 動きやすい服装
 バスタオルをひとり1枚ご用意ください。

 

個人セッションでは、お母様が最初に学び始めて
お子さんにも学ばせたいと
それぞれが別枠で通われている方もいらっしゃいますが
子どもたちが何を感じ、何を学んでいるのか
体験を共有し、親御さんもナチュラリゼーションに触れることで
広がっていくもの、豊かになっていくものが
やはり、あるように感じています。

このクラスでは、日ごろ運動等をなさっていない親御さんでも
無理なくナチュラリゼーションを楽しむことができ
また、ダンスを学ばれているお子さんにも
とても大切な顎と手のワークを体験して戴きます。

 お申し込み:以下のページの6/25日枠からご予約下さい。
       ※お子様の年齢をお書き添え下さい。

 

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修行旅

京都は修学旅行のシーズンのようですが
私はこの2日間ナチュラリゼーションの修行旅に行って参りました(笑)

 

行くと決めたのは、数か月前ですが
月単位、年単位のペースの身体や動きの変化を感じながら
時折、ここがひとつの飛躍点かもしれない
或いは、じぶんの問い続けてきたものの正体が
感覚として明らかになるような気がする
という気配みたいなものをその少し前からどこかで感じていて
集中したレッスンの時間を持ちたくなるように感じています。

 

今回も呼吸と動き、脱力、肘と膝、など
2日間のレッスンの中で感じること、気付くことが多々ありましたが
1日目に気付いた事を2日目に感じ合わせながら動いてみて
その時間の中では、未だもやもやっとしていたものが
旅から帰ったその晩に、また自宅で動いている中で
あっ!と気付いたり、問いと問いとが結びついて
明らかになっていくことがいくつかありました。

このところ膝で感じていた「こう動いていける感じ」は
この旅の中で、また少し自由になった肘を感じて動いてみると
肘にも、膝と同じ質感の「こう動いていける感じ」を覚えるのです。

少しそれが生じる時間は前後しても
やはり、上肢の調和をしっかり育んで行くことが
下肢の変化に繋がっていくということを
改めて、そして、より強く感じています。


修行旅ではありましたが、2日目のレッスンの前に
岩倉実相院まで行って、「床みどり」や庭園を
静かに眺める時間を持ちました。

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実相院は室内の撮影は禁止なので
床みどりの写真は撮れませんでしたが
むしろ、そのことによって「その時を味わい尽くす」ことも
その眺めをしっかりと「心に写す」こともできたように思います。
ひんやりとした室内から眺めるその緑は
パンフレットで見るより鮮やかでした。

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私が行った時間帯は、まだ他の観光客も訪れていず
一人貸し切り状態(笑)で、ゆっくりとその静寂の時を
味わうことができました。
ちょうど、出る頃に観光バスが2台到着して賑やかになりましたので
良いタイミングだったと思います。

 

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そこから、まつじゅん先生のところに伺うまでの
のどかな風景の中をゆっくり歩いて
岩倉駅周辺の春や比叡山の眺めを楽しみました。

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今回泊ったのはグランドプリンス。
まつじゅん先生のところに伺うのに便利というのもありましたが
中心部の喧騒を離れて、静かに新緑を味わうには
最高のロケーションです。

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動きの質感の正体を知りたい

日々の生活で溜まる歪みに対してのセルフケアと
自分の動きの質感の正体を知りたいので
ナチュラリゼーションに興味を持ちました。

 と、先月からいらして下さっている方です。

こうやって見ると膝下を集めて立ってみようという気が起きたんだな…と思います。それ自体は意識して起こした行動ですが、こういうことを繰り返して癖というか無意識にまで染み込ませられるようにしたいです。

と、仰っているように
プロセスは始まったばかりで
1回のセッションの中で表れた変化は
その方向性を示しているに過ぎません。

けれども、顎を解放していくこと
そして、手を解放しつつ、その機能を見直していくことによって
ターンアウトを妨げていたものが少しずつ、少しずつ変わっていくと
そこに立っていくことが窮屈では無くなっていくのではないか
という感触はお感じ戴けていると思います(^.^)

 

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ナチュラリゼーションの底力を感じる時

『人間は本来もっと自由に、痛み無く、美しく、速く、強く動けるはずだ。』
というナチュラリゼーションの主題。

でも、それは結果として訪れることであって
それを目的にしない、
つまり結果の位置から何かを求めないというところが
ナチュラリゼーションの難しいところかもしれません。
求めても、ある程度結果は出ちゃいますが(笑)

でも、ナチュラリゼーションの底力を私が感じるのは
やはり、ただ観察者のように
行為のさ中の身体や動きを感じていられるような境地で
それに没頭出来た後に
ふと訪れる飛躍を覚える時です。

その事態を言葉にして表すこともまた
難しかったりもするのですが(笑)
敢えて表そうとすることもまた
自身の体験と少し隙間を開き
それ自体を拡張するような働きをすることも
あるように感じています。

今日は、そんな事態を言い得ているように感じる
河本英夫氏の記述をご参考までに引用させて戴きます。

 

認識するようにかかわるのではなく、それじたいとしてあることに連動するようにかかわるのでなければ、すなわち行為としてかかわるのでなければ、接点のとれないような事態が存在する。みずから固体化するものはすべてそうした性質を備えている。発達には、みずから成るという部分が含まれる。このみずから成るということに行為として関与することで、はじめて開ける事象がある。こうした領域は、どのように精神が高まっても、精神による認識ではすれ違ってしまうのである。

 

歩行は歩行にふさわしい動作に繰り返し再編され、それによって動作は自動化する。動作は動作へと接続される。そうなることの手前に、もはや思い出すことのできないさまざまな動作の可能性があったはずである。そうした思い起こすことのできないみずからの前史をたどるようにして、動作の可能性を拡張していくことができる。いわば動作の「先験的過去」を思い出すようにして、別の組織化の水準を見出すのである。動作は結果として目的にふさわしく機能するが、目的のために形成されたのではない。動作は、自己組織化のプロセスをつうじて結果として合目的的になるが、目的へと向かって組織化されるのではない。この隙間に、多くの別様の可能性が含まれている。

 

損傷したシステムはいかに創発・再生するか: オートポイエーシスの第五領域  

損傷したシステムはいかに創発・再生するか: オートポイエーシスの第五領域  

 

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「諦める必要は無いのかもしれない」と思える気持ち

今日は和泉多摩川レッスン日。

お膝を悪くしてバレエをやめてしまったけれど
ナチュラリゼーションを続けてきて
久しぶりに少しバレエの動きをしてみると
パンシェも全然、グラグラしない
ルルヴェを保って動くのも楽と
その感覚の違いに驚きながら
「こうやって身体と動きを整えていったら、いつか、いつか…」と
希望を感じていらっしゃるお言葉と
嬉しそうな表情に
私も幸せな気持ちになったひと時でした。

 

私の仕事はもちろん、バレエそのものを教えることではありません。
でも、ずっと続けてきたナチュラリゼーションが
バレエの中にどう活きてくるのか
そこに気付くちょっとしたヒントを
その方のレッスンでは
ナチュラリゼーションのワークの後に
コンビネーションにしない極々基本の動きを、
ゆっくりと丁寧に動いてみて戴く中で
少しお伝えしていますが
そうして結びついて変化を感じられる中で
諦めてしまっていたバレエやご自分のお身体に
「諦める必要は無いのかもしれない」と思える気持ち
少しずつ育っているのを感じられると
やはり、何より嬉しいです。

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ナチュラリゼーションって、身体や動きへの問いを
もっともプライマリーなところに立ち返って体験しながら
自分で答えを見出していけるように
誘ってくれるプロセスだと思うのです。

バレエをバレエとして模索する中では
糸口が見つからなかった問題も
シンプルな行為の中で感じ、学びながら
こんな風に違う道筋が見えてくることも
あるかもしれません(^.^) 

 


 

 

カオスを歩く

朝のウォーキングを暫く続けてみて
今、歩くということに
良い意味でのカオスが訪れています。
つまり、わからなくなる(笑)

でも、このところ色々な変数を与えてきたのは
始めにフォームとしての理想やイメージがあって
そこに自分の動きをあてはめていくためではなく
手を変えていくことで
どういう動きの選択肢が生じてくるか
むしろ、足の運びがわからなくなることを
待っていたような感じなのです。

変ですよね(笑)

でも、私個人的には
それは極めてナチュラリゼーション的なように思うのです。

週末あたりから、無性に足の脱力のワークと
スパイダーがしたくなって
また、少し股関節まわりの感触が変わってきたり
そのリラックスした脚と
上半身の調和とが
あるバランスで結びついたとき
心地よい脚の重さと共に
ダイナミックアーチによって推進力を得られるだけでなく
アーチの微かな働きで導かれてもいくかのような
何かとても気持ちの良い感覚を覚える
動きのパターンが生じてくる。

でも、それはまだゆっくり歩くとき。
日常的な歩行のスピードになると
わからなくなる(笑)
でも、そのわからないの先に
私にとっての心地よい歩きが
訪れるように思うのです。

そして、また少し
お尻が柔らかくなった気も(笑)

また、ひとつのフェーズの臨界点が
近付きつつあるように感じていて
今月は偶然ですが
京都でナチュラリゼーション修行(笑)の予定もあるので
それが良い刺激になってくれるような予感がしています。

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初めて歩き始めるような、歩行の形成の場面では、全身の筋肉のうちどれを活用し、どれには力を入れなくてもよいというようなことが、本人にあらかじめわかっているわけではありません。またある筋肉を収縮させるときには、どの筋肉を弛緩させなければならないかも、本人はわかっている訳ではありません。しかし歩行の実行をつうじて、それはおのずと決まってきますし、おのずと形成されてくるのです。これは意識による認識をつうじて決まってくるものではありません。
 そのとき歩行の実際の作動をつうじて、その作動に必要な身体部位の要素が、そのつど決まってきます。精確にいえば、作動をつうじておのずと要素の集合が決まってきます。システムの要素として、あらかじめ身体が想定されているのではありません。
飽きる力 (生活人新書 331) 」河本英夫/NHK出版 
第2章 動きながら育つ より

 

全身に巡る春

お題「春に思い出す曲 春に聞きたい曲」

といえば、私の場合はこの曲

イタリアのコンポーザー/ピアニスト
Ludovico Einaudi の Primavera。

 

ぜひ、目を閉じて聴いてみて戴ければと思います。
生命の息吹、流れ出す小川
生きている春が
ドラマティックに瞼に広がるのが
感じられないでしょうか?(^.^)

私は、この曲を聴くと
全身に春が巡るような気がします。

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